写真家 中西敏貴先生の【KANI】フィルター使用レポート

時代がデジタルカメラを主役に押し上げて久しい。その画質や機能はさらに進化を続けていて、今やデジタルカメラは我々写真家の表現にとってなくてはならない存在になった。近い将来、この変化は写真にとって非常に重要な転機だったと語られるに違いないと思う。しかし、全てのことが私にとって歓迎とは言い切れない。画像処理が可能になったことで、光の原則に立ち向かうような風景作品が世に溢れるようになった。
これはあくまで私の考えだが、自然を被写体とするならば、太陽光の向きを常に意識して撮影し、そしてそのことを念頭に画像処理をした方がより自然の臨場感を感じられると思っている。そのため私の写真表現では、光の届いている明部と、その反対の要素である暗部のバランスを意識することで、自分が描きたい自然の光を強調している。

RAW現像は現代写真において必須ではあるが、魔法でもある。いかようにでも出来るがゆえに、着地点を見失ないがちなのだ。人の目というものは慣れを伴う。慣れてしまうことで過剰な仕上がりになりがちということを、我々表現者は常に意識すべきだろう。写真は光を使って描く芸術という原則に思いを寄せると、光が届いていないはずの場所が不自然な明度や彩度で表現されている作品には、やはり違和感を感じざるを得ない。もちろん、画像処理を否定するものではない。写真は表現であり、どのようにするかは作者の自由だ。あくまで私はそこを着地点としては見ていない、ということだ。

そう言った意味で、私は脳内イメージをできるだけ撮影時に再現しておくことを心がけている。特に機材がミラーレス化したことによってその思いは顕著になった。フィルム時代から行われてきた伝統的な手法であるフィルターワークはその思いを実現してくれる一つの手段だ。写真ならではの長秒露光による時間の表現などは、NDフィルターを使うことでしか作り上げることはできないし、輝度差のコントロールにはグラデーションフィルターを使えば、現像作業が格段に楽になる。フィルターワークは、フィルム時代では高度な職人技だった。ところが、機材のデジタル化はそのハードルを一気に下げてくれたと言えるだろう。カメラが進化したこの時代だからこそ、フィルターワークによる光のコントロールを気軽に楽しめるようになったというわけだ。
